【 Inner child 】
===========
私たちが、内なる子供を抱擁するとき、
それは両親や先祖の中の
傷ついた子供たちすべてを抱擁しているのです。
-- ティク・ナット・ハン --
===========
Inner child 。 内なる子供。
子供時代の感情や記憶、痛み。
この内側の声の主を、どうケアするか・・
様々な呼び方で、太古の昔から、
人々はずっとこの課題に取り組んでいたのだと思います。
最近、私の中で、気がついたことをひとつ。
現在、私の住む部屋の階下のご家族に、
3歳くらいの女の子が住んでいまして。
彼女が、火がついたように泣いているのです。
泣き声に気がつき始めたのは、3ヶ月まえほど。
最初は、どこか遠くのお家のことだと思っていたのです。
目の前が道路なので、車の喧騒に紛れていたのです。
夜中11時に、火がついたように、40分ほど泣き叫んでいて。
その日から、私は気にするようになり、
それが、かなりの頻度だということに、だんだん気がつき。
絶叫する悲痛な泣き叫びが、止まることなく1時間近く続く。
朝に、夕に、深夜に。
だんだん私は、部屋にいるときは気が気じゃなく。
ある深夜、あまりの泣き方と長時間に、
私は、相方さんと相談し、
悩みに悩んだ末、念のため、児童相談所に電話。
それ以来、彼女が泣く声を、敏感に敏感に聞き取ってしまい。
いえ、正しくは、まるで監視するかのように、聞き取ってしまい。
息苦しく、いたたまれなく。
私は自問自答しました。
この過剰な心配は、なんだろう。
私は、どんな「結末」や「現実」を、引き寄せようとしているのだろう?
わたしは、他の現実もちゃんと見ていました。
階下のおうちが、とても素敵なご家族なのを。
泣き叫んでいる女の子は、
朝、ママと駐車場でパパの車を見送る姿を。
それでも、
私は、階下のお宅で、
何か悲痛なことが行なわれているのではないかと、
心の片隅に思い描いていて。
それは心配ではなく、
そうであれと願っているのではないか、と。
そのエネルギーを、
女の子や、女の子のママに、届けているのではないだろうかと、
はた、と気がつき。
それと同時に、
泣き叫ぶ声に、過剰に過敏に反応していたのは、
私の中の「内なる子供」であったのだと、気がつきました。
誰かを助けたい。
その感情や思いは、
自分を助けたい、という心の投影。
自分の心の痛み(エゴ)を解放する手段として、
現実に投影していることに、
気がつかなければいけない・・・・。
はたと、はたと、気がついたのです。
私が、私自身の内なる子供を癒せば、
私の現実の中に、傷ついた子供の泣き声は、響かなくなる。
正しさという世界にいた私のエゴができる最大限のことは、もう行った。
(お電話する、という行為)
そして、
本当に、本当に、私がしなければいけないことは、
自分の内側で泣いてる子供の声を聴き、寄り添うこと。
私はもしかしたら、
大きな声で泣き叫ぶ彼女を、羨ましがっていたのかもしれません。
愛を、送る。
自分の内側に。
泣き声に、
傷ついていたのは、怯えていたのは、
私自身でした。
小さな天使が、今宵もご機嫌よく眠れますように。
追伸
ご近所の見回り役みたいなおじさまで、
よく女の子やママとお話される方に、
何気なく伺ってみたところ。
彼女はとても寝つき寝起きが悪く、
また最近自己主張が強くなり、大きな声で泣くので、
ご両親も悩んでいる・・とのことだそう。
「身体にアザとかはないよ」とのこと・・・
見守ってくださる方がいて、ちょっと安心しました。