お抹茶、点前、心に火を灯す。
しばらく、朝にお抹茶を点てていただくの時間がご無沙汰でしたが、
昨日、テレビで敬愛する坂東玉三郎さんが、
毎朝カジュアルな作法でお抹茶を点てて飲まれている様子を拝見。
あぁ、そうだった、お抹茶、と思い。
昨日から、一杯のお白湯の後に、お抹茶を。
茶道部だったので、
あぁそうだった、茶筅は濡らして・・など思い出しながら。
お湯を別の器に高いところから音を静かに奏でながら注ぎ、
まだ温度が尖っているならばお水を指し。
ぬるめのお湯を注ぎ、点てる。
茶道とは、何と瞑想なのだろうと思います。
所作は、どこまでも機能を高め、削ぎ落とし。
そこに生命そのものを味わい尽くすような美を見出し。
これをヨガと言わずして何と言う・・
と思いながら、
甘く点ったお抹茶を頂きます。
少し甘味が人工的で強いですが、
朝の血糖値を上げるのにチョコを2かけ。
なぜ、お茶を【点てる】【点前】と記すのでしょう。
【手前】という言葉も用いられますが、
【点】
諸説あるようですが、【点ずる】の言葉の中に、
< 火を灯す >という意味もあります。
禅の思想も加わり、
< 心に火を灯す >
という解釈は、とても心に響きます。
【 点 】とはなにか。
自分の軸を支える、わずかな一点。
水が岩をうがつ、わずかな一点。
【 点 】を探ることは、
その先にある無限に繋がることだなぁ、
などと思いながら、お茶を飲みました。
すっくりと立った茶筅のバランス、
その穂の開き、
ちゃんと「立って」るなぁ・・としみじみ。
心に火を灯す、ということの、
なんと深淵でありがたいことよ。
お茶の一杯。
されど一杯。
自分の身体に向き合うことの世界が、
点前に秘められているなぁと感じます。
呼吸すること。
身体を前に屈していく動作。
身体が慣れている動きの中から、
慣れを外して、
深淵な一瞬一瞬の違いを味わうとき。
それは心と身体に甘露をしたたらせる、ヨガとなります。
お茶の一杯から、色んなことを思ってしまいます。
心と身体を繋ぐ、瑜伽の師は、
色んなところにいらっしゃるなぁと、改めて感じます。
毎朝の、お茶の中に、コーヒーの中に、
心に火を灯す瞬間を、
どうぞ見出してみてください。
感謝をこめて。